忘れられた宝石箱の住人たちへ

忘れられた宝石箱の住人たちへ

ここは、宇宙のどこかの、冷えた一角に光が差し込んだところ。
私は布団の中で、体を縮める。鳥が鳴いていて、登校中の児童達の話し声と足音がする。バスが通る。カーテンを少しだけ開けて外を見ると、空が青く広がっていき、目の前の建物にはオレンジ色の朝日が照らし出されている。私は微睡みながら、眠ったのにまだ疲れていると感じた。そして昨日の夕方の大雨の中の気分を思い出した。
ベッドから床を見下ろすと、昨日脱ぎ散らかした服が転がっていた。少しだけ喉が痛くて、もしかしたら風邪を引いたのかもしれないと思った。数日前に話した人の顔が思い出されて、あの日はなんで特別に感じたのか考えた。
そして、窓の方に目をやった。窓辺りに沢山置かれた小物たちが少しだけ私に囁いているような気がした。貝殻、小さなロボットや動物たち、魚の釣り具、キャンドル、粘土で作った花、落ち葉、割れた窓ガラス、マゼンタとシアンのインク、ガラス製の置物、小さな鏡。
この小さなアパートメントの一室には、至る所に私の(生活)の痕跡がある。

ある港町の高台にある家に生まれた私は、幼い頃、よく父方の祖母の部屋でお菓子を食べてお絵描きしたり、テレビを見ていた。私たちは隣の家に住んでいたが、室内の扉から自由に行き来ができた。
おばあちゃんの好きなところは、花の名前を沢山覚えていて、庭仕事が好きで、恋の詩を書いていて、私に優しいところだった。
彼女は、おしゃれが好きで、買い物が趣味だった。祖母の寝室のクローゼットには宝石箱があり、私はよく頼み込んでそれらを眺めた。
祖父が亡くなってからは、クマのぬいぐるみとよくおしゃべりしていた。彼女には友人があまりいなかった。息子である私の父親に厳しかった。嫁いできた私の母親に対しては冷酷だった。私と兄のことは、可愛がっていた。

中学生になった頃、私は2階に自分の部屋を持つようになった。家に母親がいないとき、祖母は私の名前を呼び、階段の下でおしゃべりしようと誘ってきた。話の内容は、ほとんどが祖母と祖父の馴れ初め話だったが、時には母親への不満もあった。
母親の乗った車が帰ってくる音が聞こえると、祖母は自分の部屋の方へそそくさと戻っていった。祖母はにこりと笑うと、私に感謝の言葉を伝えた。それは「私の味方でいてね」という意味に感じ取れたが、私は玄関の扉が開いて母親の顔が見えると「おかえりなさい」と言いながら、お母さんの味方になった。

私が両親と暮らす部屋と祖母が暮らす部屋の間には、応接間と仏間がある。私たちが暮らす家の中で1番広く、異様な空間である。
応接間にはヤマハのピアノがあり、絨毯の上にソファと机があり、祖母が集めた工芸品が並んでいる。私は小さい頃、その部屋で1人で空想遊びをした。砂漠にサボテンが描かれた油絵、ピエロの置物、ブラウン管のテレビ、蠍の入ったキーチェーン、クリスタルの多面体、大きな象のぬいぐるみ、くるくる回る少年のついたオルゴール、卵型のマラカス、陶製のドワーフたち。仏間には、ひな祭りの際に大きな雛人形が飾られた。私はそれを眺めては、人形たちの性格を想像していた。お盆の時期には、提灯が飾られた。暗い部屋でぼんやりと色鮮やかに灯っている光景を今でも思い出すことができる。
応接間と仏間には独特の趣があったが、同時にお化け屋敷のような雰囲気があった。まるで家の中央に大きな空洞があるように感じる時もあった。

私は先月から新居に引っ越した。その部屋の机でこの文章を書いている。私は故郷を離れてもうすぐ四年になる。家との関わりは薄れていき、記憶は幻のような質感を帯び始めている。祖母の部屋には沢山の可愛らしい置物が飾られていたが、今はどうなっているのだろう。
私は自分の故郷の部屋で目を覚ます日を思い出す。静かな朝だ。空は高く、雲はダイナミックに流れている。時計の秒針の音が、うるさいほど部屋の中で響いている。私はしばらく宙に舞う埃を目で追いながら、今日の夢を思い出す。何だか長い夢を見ていたが、忘れてしまってもいい内容だった。お腹が空き、体を起こす。トイレに入ると、洗面台に自分の姿が映る。その横に、私の幼い頃の写真が飾られている。私は体重計に乗るが、何キロか確認しないまま降りる。水の流れる音がやけにはっきり聞こえる。床材の質感を足の裏で感じる。階段を見下ろす。きっともう聞こえないであろう祖母の呼び声を想像する。祖母はクローゼットの中の宝石箱をもう忘れてしまっただろうかと頭をよぎる。窓から強い光が差し込み、私と私の背後にある壁を照らす。は祖母に貰ったチョコレートや、ゼリーキャンディーの甘い味、彼女に秘密でお金をもらった時の後ろめたい気持ちを思い出す。

2023年度 多摩美術大学グラフィックアーツ専攻卒業制作から

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